こんにちは、今回は「愛せなければ通過せよ」という言葉をご紹介します。
哲学者ニーチェの言葉
この言葉は、「神は死んだ」のセリフでおなじみの哲学者ニーチェの言葉です。
愛せなければ通過せよ。今はそのままですが、人によってそれぞれの意味を持つ言葉かもしれません。
今はだれもがスマホを持っていて、SNSやらYouTubeなどの動画やら、たくさん見るものがあります。
たくさん見るのはあるけど、自分の人生は一度きり。一日はたったの24時間しかありません。
そのうち、8時間ほど睡眠をとっていたら実質起きてる時間は、16時間しかありません。
この短い時間の中で、私たちはトイレに行ったりご飯を食べたり、お風呂に入ったり、仕事をしたり遊んだり、様々なことをしています。
時間というのはあるようでいつも実はほんの少ししかないんじゃないかと思います。
自由に使える余暇の時間と言うのは、人それぞれ違うと思いますが、よほど時間に余裕があっても数時間程度ではないでしょうか。
もしくは、忙しい毎日を送っていたら、自由に使える時間というのはほんの少ししかないと思います。
そんな限られた時間の中で、自分が好きなことに時間を使えることができれば良いのですが、今はいろんな娯楽があるので、ついつい、どうでもいいようなSNSや、動画を見てしまったりすることも多いのではないかと感じています。
インターネットにはどっからどう見てもくだらないようなことがたくさんあります。
そういったくだらないことを見てしまうと、時間を無駄にしてしまったような気持ちになり、気分が落ち込んでしまいます。
本当に自分にとって大切なものや楽しいものを見るのならまだしも、どうでもいいものを見てしまうのは時間の無駄でしかありません。
この言葉と私
私は、「愛せなければ通過せよ」と言う言葉を、よく念頭に置いて忘れないようにしています。
そうでないと、ついつい惰性でくだらない動画を見てしまったり、ダラダラとInstagramを見てしまったりするからです。
どうでもいいものは、自分の人生において、何の成果ももたらしてはくれません。
自分の本当にやりたいことをやったとしても、やっていて楽しいと思えることにこそ、限られた時間を使うべきだと思うので、ダラダラしてしまっているなと感じた時は、この言葉を思い出すようにしています。
そうはいっても、私は怠け者なので、いつでもやる気にみなぎっているわけではありません。
ときにはダラダラしたい時もあります。ですが、そういった時こそ、ある程度ダラダラしたら、切り替えなければいけないなと感じます。
そういう時に「愛せなければ通過せよ」と言う言葉を思い出して、どうでもいい事は通過し、やるべき事に取り掛かるようにしています。
やらなければいけないことを後回しにすると、結局自分が後悔する羽目になるので、やるべきことをさっさと終わらせて、時間に余裕を作ったら、本当に自分がやりたいことに時間を回すようにしています。
こういった言葉を持っておくと、気持ちの切り替えもしやすくなるので、そこもいいと思います。
特に私が意識をしているのは、他人の人生を見ている暇があるなら、自分の人生をどうにか磨くことです。これは、YouTubeなどを見てしまっているときによく思うことです。
自分とは関係のない人の人生を、外から眺めているだけなので、虚しすぎると思うからです。私は、私の人生を生きたいと思います。
あなたは大丈夫?
今はスマホが当たり前の時代になってので、気がついたら他人の人生を傍観してしまっている時間が増えた気がします。
Instagramなんかはとくに、相手のことが見えた気になってしまうと思います。
友達や、有名人、モデルなど。誰がどこにいて、何を食べたとか、どこに行ったとか、本当は自分にとってはどうでもいいような情報ばかりが目に飛び込んできます。
例えば、自分が何かおしゃれなカフェを探していて、そういった情報を取得するためにインスタを見るのはいいと思います。
食べ物とかの写真も、今日のご飯の献立の参考になることもたしかにありますし、イベントや、楽しそうな情報を得て、自分が友達と遊びに行くのに有効活用するのであればいいと思います。
ですが、そういった実際の生活に役立てるのではなく、ただスマホの画面を眺めているだけなのであれば、それは本当に時間の無駄です。
私は、大人になってから子供の頃と比べて時間のスピードがすごく速くなったように感じています。
毎年、年越しの季節になると今年もあっという間だったなぁと思うことがよくあります。
そして、今年はどんな1年だったかを振り返ったときに、自分にとって素敵な思い出がいくつあるのか。
なにに挑戦して、失敗して、成長したのか。そういったことをよく考えます。
他人の人生を眺めているだけで、自分の人生をおざなりにしていると、なんの実りのない1年になってしまうという事実です。
これを感じたときに、私は「愛せなければ通過せよ」という言葉を、座右の銘にしなければならないと感じました。